2016年10月

はじめてのロードバイク(後編w)

)ラレー(黄


さてさて、山手線・駒込駅近くの自転車屋さんで衝撃的に出会った黄色いスポーツ車は、偶然にもかつて乗り回していたのと同じ英国「ラレー」の自転車でした。

 

力強いイエロー×ブラックのカラー・欧州ブランド(ワインマンとかザックスとかユーレーとか部品に刻印がありましたが、有名なメーカーなんですかにゃ?(おいおい))で固められたアッセンブル・いかにも走りそうなルックス・それでいて、風格あるヘッドバッジをはじめ、さりげなく感じられる英国のエスプリ。う~ん。まいった。

 

さながら、英国生まれのスポーツ好きな良家の子女と出会った気分ですかのぅ?(あんたビョーキやろ)

 

おまけに定価だと6万5000円ほどだが、サンキュッパだと。これは…今買えってことですよね。そうとしか考えられない。

 

私は胸の高鳴りを抑えつつ、かつ躊躇なく店主に告げた。

 

「これください」。

 


ということで、このラレーが「はじめてのロードバイク」と相成りました(以前ちょっと乗ったスポルティーフはフルマッドガードの所謂ツーリング車っす)

 

ま~、今考えると、パイプは重いハイテン(高張力鋼)だし、リムもスチールだし(これは今考えると、ショック吸収性と、フライホイール効果により高速巡航性には有利?なんちて)、ブレーキワイヤはびよよんと飛び出しているし、まったくおとなしいバイクなのだが、グレッグ・レモンやミゲール・インデュラインが乗ったTVTも市川さんが乗ったLOOKも知らない私には(そんなの未だに乗ったことありましぇんw)、バリバリに本格的なレース用自転車に見えたのでつ()

 

いや、自転車に特に興味もない一般人なら、そんなもんでしょ?「ママチャリと、あとなんか競輪みたいなスポーツ用の自転車」。そんな大まかな区分ですよね。

 

しかしこのラレー、乗って帰るときは往生した。ドロップバーの持ち方がわからないので常に下ハン持ち()。もちろん、そんな状態でダウンチューブに付いたダブルレバーで変速なんかできましぇん。適当なギヤに固定で、信号で止まるたび、ヨロヨロと頼りなくスタートするのであつた。

 

トゥクリップが付いてないのは幸いだった。そんな、下ハンを握りつつダウンチューブに手を伸ばし変速し、トゥクリップに爪先を入れスタート、なんて到底無理っす(今でも三ついっぺんになんてできましぇん!)

 

そんなこんなでほうほうのていで帰宅したのだが、何しろ運命的な出会いを感じた私は、さっそく自転車乗りのバイブル「サイクルスポーツ」誌(宮内さんお元気ですか?)を買い、研究を始めたのだった。「ふんふん、つうる・ど・おフランスに出てる自転車はカーボン製でもっとすごいのね。シフトもブレーキレバーと一体化してて、ハンドルから手を離さなくても変速できるんだ。ホェ~」「この三浦さんっていう選手の自転車、えらく攻撃的なポジションだすな~」「ほお~、サイクルパンツには尻にパッドが付いてるのか~、これなら長距離走っても尻が痛くならないね!」「マウンテンバイクもいいっすな~」などなど、見るものすべて新鮮な世界でした。

 

実はこのラレーを買う少し前、宇都宮で自転車の世界選手権が行われて、某NHKがロードレースを最初から最後まで(6時間半)生放送したことを知り、「へぇ~!自転車のレースって6時間半も走るのか!すごいなぁ!どんな超人なんだ!」と驚きとともにサブリミナル的な知識を得ていたという伏線があったのです。そんなこともあって、発見即購入も自然な流れとも言えるかもしれません。

 

さぁこうなったら、まるで小学生の自転車マニヤです。少しでもつうる・ど・おフランスに出てるような自転車に近づけるべく、サンキュッパで買ったラレーの改造が始まりましたよ。弁解がましいですが、小学生のときには周りにかっこいい自転車に乗っている大人とかもいなかったし、そういう刺激も皆無でしたから、いい歳ぶっこいてからようやくメディアの力を借りて開眼()したわけです。

 

もちろん、また自転車通勤もわくわくドキドキで始めました。今度はちゃんとジロのヘルメットもかぶり、いっぱしのサイクリスト気分です。車道の左端を走るのは原付と同じだし、すぐに慣れました。

 

ま、買った当初はドロップバーに馴染みがなく、しかもブラケットポジションからだとワインマンのブレーキの引きが重いのでフラットハンドルに換えてましたが、「いちまるご」のブレーキに替えてブレーキの引きもめっちゃ軽くなり、またドロップバーに戻しました。

 

そして気になっていた、いちいちハンドルから手を離さないと操作できないシフトレバー(昔はこれが普通だったんだよ、へたくそめ)も「志麿ののデュアルコントロールレバー」より軽くて安いサンツアーのコマンドシフターに換え、手元でパチパチと気軽に変速できるようになりました。らくちん~!

 

雑誌やショップで知識を仕入れ、それをすぐに実行できるサンキュッパのラレーは、私にとってまたとない素材でした。鉄リムのホイールも軽量なアルミリムのロードレーサー用ホイールに替え、どんどん自転車にハマっていく日々。ボトル台座が一つしかないので、シートチューブにドリルでグリグリと穴を開けたのは今考えると「ヒョエ~」ですがね。危ないなぁ。

 

こうしてサンキュッパのラレーは、私の自転車史上もっとも重要な自転車になっていったのです。その後ロードバイクはフォンドリエスト・ビアンキ・コルナゴなど乗って、どれもいい自転車でしたが正直、サンキュッパのラレーほどの思い入れはなかったのも事実です。

 

フレーム以外全部自分で交換して、自転車の知識も以前とは比べ物にならないくらいつきました。もちろん、パンク修理だってひとりでできるもん!てな具合です。

 

えっ?そんなスポーツ車にブラッシュアップしたのなら、さっそく遠くにツーリングにも行ったんだろって?

 

いやぁ、それが、私にとって自転車とは、基本的に「混んでる電車とか乗りたくないし、自転車のほうが寄り道ができるし気持ちいいから乗ってる」的なお気に入りのスニーカーみたいなものなので、べつに世界一周とかあまり興味ないんですよね。大変そうだし(おいおい)。めんどくさそうだし(コラコラ)

 

その頃は毎日の自転車通勤以外は、お休みの日に川越あたりまで行って焼き団子食べて「今日はよく走ったな」と満足してたくらいで、そんな長距離サイクリングなんかやってなかったす(今も大差ない?)

 

自転車にはほとんど毎日乗ってはいますが、「1200㎞走った」とかの話は「へぇ~、そりゃ大変そうだねぇ」的な人間なんす(居直るなよ)

 

某自転車専門誌でアルバイトしてたとき、常駐のF倉くんに「向上心がない」と言われたのも、ま、無理はなかろう)

 

これで自転車競技に目覚め、いい歳して選手を目指し…となればネタ的には面白かったんですがね~。

 

 

まぁそんなわけでこのラレー君がきっかけでフランスやハワイにも行きましたし、世界が広がった気がします(というか、かなり広がりました)。エンジンに頼らなくても、自分の力だけで「自由」を得られる自転車の醍醐味を教えてくれたラレー君ありがとう!この先何台自転車に乗っても君のことは忘れないよ!あと、サイクルスポーツ誌の宮内さん・松本さんにはこの場を借りて感謝します。グラッチェ!

ジム・モリソンは水晶の舟に乗り、夏の夜を漕いでいった。

うちは4人兄妹(3)なのですが、小学生のころはそれぞれ、お小遣いとは別に雑誌や、たまにレコードなども買ってもらっていました。雑誌は週刊誌と月刊誌を買ってもらってましたから、読むものに不自由はしませんでした。その辺が今の仕事につながっているのかも。

 

今思えばオヤジは、そういった情操教材()を買い与えたり、この間の記事のようにバカガキ(私です)にねだられて自転車を買ってやったり、女の子ならそれなりに洋服も買ってやらなければならないしそれも3人だし、あれやこれや出費が多く大変だったと思います。まぁ当時はオヤジも大メーカーに勤めていましたし、皆、給料は永遠に上がり続けるものと思っていた時代ですからね。昭和は遠くなりにけり(しみじみ)

 

さて私も好奇心旺盛な年頃ですから、自分の「少年マガジン」や「少年サンデー」だけでは飽きたらず、妹たちが読んでいる「マーガレット」や「少女フレンド」、「りぼん」、「ティーンルック」などにも自然、目が行きます。里中満智子さんのデビュー作なんかも読みましたね。

 

その中で「ティーンルック」は当時のアイドルやグループサウンズのグラビアが多い「ティーン向け総合情報誌」だったと記憶しています。タイガース、テンブターズ、オックス、ダイナマイツなどなど。かっこよかったですね!(このブログ、どうゆう年代対象なの?)彼らがテレビに出演したときは私も妹たちと一緒に釘付けでした。そして、その「ティーンルック」のグラビアに彼はいたのです。

 

ジム・モリソン。アメリカのサイケなロックグループ「ドアーズ」のヴォーカリストです。ギリシャ彫刻のように彫りの深い顔立ち・挑発的な視線・「下半身を墨汁に浸したような」と形容された、彼のトレードマークとなった黒いタイトなレザーパンツ、それらが一体となり、私の目に強く焼き付きました。

 

「でらかっこいい~!(何故に名古屋弁?)どんな音楽をやっているんだろ?」そう思い、ラジオやテレビの音楽番組をチェックするようになりました。それでロックとかに興味を持ち始めました。

 

えっ?音はまだ聴いたことがなかったのかって??ええ、昔はみんなそうですよ?ビートルズなんかはともかく、マイナーなミュージシャンなんかラジオやテレビではそうそうかからないし、雑誌などでミュージシャンの写真や記事を見て、「どんな音なんだろう?」と想像するのは当たり前でしたから。そういう意味で前述の「ティーンルック」あるいは「ミュージックライフ」にはずいぶんお世話になりました()。ビジュアルから音を想像して楽しむ技術がつきましたから()

 

ジム・モリソンでロックに目覚めた()バカガキは夜になるとそういう音楽をやっていないかラジオを始終チューニングしたりして洋楽を聞いていました。そんななかでドアーズの「ライト・マイ・ファイア」「ハロー・アイ・ラブ・ユー」「タッチ・ミ―」などの曲がかかるともうテンション爆上がりで「ヤッタ~!シビレルぅ~!」てなもんでした。あ~、あの頃はピュアだったなぁ。

 

なにがいいって、当時流行っていたガチャガチャした音楽(失礼)とは一線を画すクールでサイケデリックなサウンド()、とくにレイ・マンザレクの奏でる病的なオルガンに絡むジムのワイルドでいてセクシーかつナイーブなヴォーカルがもうたまりません。この音はヤバいです。

 

当時、洋楽ではビートルズとかストーンズがメジャーでしたが、ビートルズはなにか音楽があまり面白みを感じず(おいおい)で、メンバーのルックスもいまいちだし(おいおいカミソリ送られるぞ)、ストーンズはなにかジャンジャカジャンジャカと頭悪そうで(おいおい殴られるぞ)、私にはいまいちでしたね。あ、当時バカガキが思っていたことですから、大目に見てやってください。バカガキのくせにいろいろうるさいのです。たちの悪いガキですね。

 

さてそんな目新しい洋楽にキャッキャ言っていた私にも、中学に入ると新たな興味の対象が現れました。別の学区からきた女の子たちです(予想された展開でつね)

 

小学校4年~6年はどういう施策か、3年間毎日同じクラスメイトと顔を会わせていて、永遠にこの日々が続くような錯覚すら起こるくらいでしたが、それがいきなり別世界に放り込まれたのです。髪を刈られ、変な黒い服(ゾッとしますな)を着せられて。

 

まぁでも見渡せば見たこともない女の子だらけ。しかもかわゆいの()。ぶっちゃけ、勉強どころではありませんね(バカガキに思春期が訪れてましたよ!)

 

しかし話はそう簡単ではなく、別の学区からきた不良っぽいのやら一言も口を聞かない奴やらひたすら純朴な男子やらもドッと現れたのです。これはドギマギしますよね。

 

中学時代はそんなこんなで何だかわけもわからず過ごしていました。あっ、ちゃんとラジオで「ロックのお勉強」はしていましたよ。当時は「ニューロック」とか「ハードロック」とかのジャンルのロックグループが雨後の筍(見たことあるのかよ)のように出てきて、ワクワクしながらラジオを聴いていました。レッドツェッペリン、ディープパープル、ヴァニラファッジ、ピンクフロイド、CCR、などなど、「ガキのくせに好みのうるさいアメリカのマイナーなロックグループ好き(私ですよ)」も多大なる影響を受けました。

 

そうなるとお小遣いを貯めてレコードを、となるのですが、うちにステレオはありましたが主にオヤジが趣味のクラシック音楽を聴くのに使ってましたし、一人でラジオでお気に入りの音を聴くのが好きでした。それに、レコードを買っちゃうと、マンガ雑誌とか買えなくなっちゃうし(さすがに中学生になったらマンガ雑誌は自分のお小遣いで買ってました)、音楽はかなり後までラジオで聴いていました。RCサクセションの「トランジスタラジオ」の世界ですね()

 

まぁそういったハードロック全盛時代の到来となると、ドアーズみたいなマイナーなグループはどうしてもラジオでもかからなくなってしまいます。そんなこともあって、ドアーズの曲はあまり私の耳には入らなくなっていました。

 

そして…1971年の梅雨の、雨の降る日でした。ラジオだと思いますが「ジム・モリソンパリで死す」のニュースが流れたのです。私にはこのことが、何か「子ども時代との決別」のような気がして、なんともいえない寂寥感(ガキが感じるかね?)を感じたのを覚えています。

 

そんな時期を経て、ドアーズのLP(初めて買ったLP)を買ったのはジムの死後になってしまいました。「ハロー・アイラブユー」のシングルは小学生のとき買ってもらった記憶があるんですが、ロックのレコードを親に買ってもらうなんて、屈辱的だということはわかっていましたからね。

 

買った店は覚えています。お茶の水のディスクユニオンです。初めて買ったLPであるドアーズのレコードをあの黒地に赤で店名が入った袋に入れて歩いていると、何かちょっと大人になった気分でした。

 

買ったのはもちろんファーストアルバムです。なんというか、このファーストアルバムにはドアーズそしてジム・モリソンのすべてが凝縮されていると思います。よく言われることですが、「ファーストアルバムを超えることは容易ではない」。これはドアーズにも当てはまると思います。

 

特にラストの「ジ・エンド」。この曲の静謐なカタストロフィ感は凄まじいものがあります。

 

暑い夏の夜、できるだけ静かな場所でひとりこの曲を聴けば、世界が凍りついたような感覚が襲ってきて、つかの間暑さを忘れられるのでオススメですよ(おいおい)

 


さて働き始めてからは可処分所得の大部分を使い、欲しかったレコード・新しいグループのレコードと手当たり次第に買いまくり音楽を楽しんでいました。そしてたまにはまたドアーズのレコードを引っ張り出して聴いていました。

 

それからずいぶん歳月が経ち、ときは20世紀末。私は当時小さな印刷関係の会社で働いていたのですが、ある日社長に呼ばれました。そう、業績悪化による「肩叩き」です。うすうす感じてはいたので、それほどショックはありませんでした。

 

さてどうしましょう。10年勤続の退職金をもらったので、とりあえずフランスにいくことにしました。そう、自転車ファンあこがれの「ツール・ド・フランス(略称ツール)」を見に行くのです。飛行機は怖いので今まで乗ったことがなかったのですが、ツールを見たい欲求のほうが勝ち、ついに渡欧を決意したのです。笑わないでください。本当に「決意」したんですから。だって飛行機が落ちたらイヤじゃないですか(マジ)

 

それから1ヶ月あまり、初めての飛行機の旅、そして初めてのフランスへの旅、それもあこがれのツール観戦の旅を前にウキウキ気分であれこれ準備をしました。

 

「フランス語も挨拶くらいは覚えとかなくちゃな。異国で迷子にでもなったら大変だからな。服や靴も新調してと。あとは最近の『サイクルスポーツ』誌の『ツール別冊』で予習をしてと。おお、右も左もフランス語で日本人のアイデンティティーの危機に見舞われたら大変だから本も持ってかなくちゃ」と適当な本を選び~の。

 

そして行ったフランス1週間の旅。いやもうカルチャーショックもいいところです。何しろ足立の田舎者がいきなり初日から「ツール最大の勝負どころ・ツールマレー峠」なんですから。なんにもしなくても心臓がドキドキするのは、空気が薄いせいじゃありませんよ。

 

ツールはフランス一周レースで、その最後の1週間を追うツアーですから毎日違うシチュエーションのコースで、もう見るもの聞くものエキサイティングなことこの上なし。

 

そんな楽しい1週間の最終日、「ツール・ド・フランス 怒濤のシャンゼリゼゴール」の翌日にパリで半日自由行動がありました。

 

前日パリのホテルで「どこへ行こうかな~」と地図を開きながら、読むために持ってきた本を取り出しました。本はドアーズのヴォーカリスト、ジム・モリソンの伝記です。

 

なんとなく本をめくっていると、ラストに「ジムはパリのペール・ラシェーズ墓地でとわの眠りについている」との記述が。

 

あっ!

 

 

なんという偶然でしょう!28年の歳月が一瞬にして邂逅しました。明日の自由行動は「ジムのお墓参り」に決まりです。

 

ツアー最終日は午前中、ガイドさんに連れられてパリ観光。昼食後、私は一人タクシーに乗り、ペール・ラシェーズ墓地に向かいます。東京でいうと青山霊園みたいな感じかな。

 

そして…あった!ジムのお墓がありました。しかしそれにしても、月曜日の午後だというのに(ツールが開催される7月、フランスは基本的に夏休みではありますが)、ジムのお墓の周りにはたくさんの老若男女がいて、花を手向けたり故人を偲んだりしています。この人たちもツールのシャンゼリゼゴールを見たついでなのでしょうか。昨日のゴールでは、末期ガンを克服したアメリカのランス・アームストロングが総合優勝しましたから、アメリカからランスの応援にきた人たちかもしれませんね。ジムはアメリカでいうと「赤木圭一郎(古っ!)」みたいな人ですから、いまだに人気があるのかもしれません。

 

私は日本から持ってきたジムの本をお墓にそなえ、彼が生きた時代に思いをはせます。ペール・ラシェーズ墓地を一回りし、再びジムのお墓のところを通ると、私が来たときからいた小学生くらいの女の子がまだいます。私がジムに一目惚れしたのも小学生のころですから、ジムにはこの年代の子どもを惹き付ける何かがあるのでしょう。

 

さて、そろそろ戻らなくては。私は28年経ってようやくジムに挨拶できた気がして、ほっとしたのでした。さよならではなく、挨拶をね。ジムの声を聞きたくなったら、いつでも聞けるから、さよならはいらないよね?

 


ジム、ありがとう。サリュ!またね!

 

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