長い活動歴を持ちながらも不定期に行われるライヴ以外はメディアへの露出もほとんどなく、「日本ロックの極北」「日本ロックの伝説」といわれた裸のラリーズの名前を私が知ったのはいつごろでしょうか。

昭和の洋楽好きのバイブル「ミュージックライフ」誌に1974年頃、裸のラリーズのコンサートレビューが載っていたのを、個人的には最も古い記憶として覚えています。内容としては「ステージの両側にはオートバイが設置され、そのライトが客席を照らす中、延々とサイケデリックな演奏が繰り広げられ~」というようなレビューだったと記憶しています。

それ以後も音楽雑誌などでまれにライヴのレビューを目にするくらいでした。いわく「音のテロリズム」「裸のラリーズのライヴの告知が出ると、どこからか黒い服に身を包んだ夜の子どもたちが集まってくる。そして、何時間でも水谷の登場を待っている」といったような。

そしてごくたまにメディアに登場するステージ写真は、モノクロームで不思議な神秘性を感じさせ、なにか惹かれるものがありました。しかし、音も全く聴いたことがないし、露出がこうも少ないと得意()の「写真から音を想像する」技も使えず、お手上げです。不定期に行われるライヴに行き、自分の目と耳で確かめるしかありませんが、私のような生半可なロックファンには手に負えない感じもし、どうにもライヴ会場に足を運ぶまでには至りませんでした。


時は流れて1988年、それまで7年ほど勤めていた会社を辞めてフリーの身(よく言えば「充電期間」の、貯金を取り崩す生活)だった私は、ある時「ぴあ」をパラパラとめくっていました。すると、都内の某ライヴハウスの出演者予定に普通に「裸のラリーズ」の名前があるではないですか。

これは…今観ろということに違いない。なにか今観なくてはいけないような気がして(結局それは正しかったわけですが)、意を決して観に行く(聴きに行く)ことにしました。

ライヴ会場は目黒の「鹿鳴館」。目黒駅を出て権之助坂をてくてく歩いて行くと右側にありました。入り口は小さいのですが中は意外と広く、映画館を改装したようにも見える、ステージの天井が高く雰囲気のあるライブハウスです。当時ラリーズは割合としてはこちらでよくライヴをやっていたようです。今思えばここは、水谷氏のお眼鏡にかなった会場だったのかもしれません。

そしてそして、初「ラリーズ体験」。開演前、ステージのバックには中世ヨーロッパの絵画やデ・キリコのシュールレアリスティックな絵画のスライドが延々と映し出され、会場には昔の映画音楽が流れお香が焚かれ、いやが上にも「ここではないどこか」感を高めます。ステージには三段積みアンプが林立し、ラウドな音空間が予想されます。

オーディエンスは案の定、黒を基調にした服に身を包んだ、いかにもマニアックなロックが好きそうな人たちが多いです。

開場からずいぶん時間が経ったでしょうか。ステージに数人の人影が現れ、センターに立ったボブカットというかブライアン・ジョーンズのようなというか、そんな髪型の華奢な男性がおもむろにギターにシールドを繋ぎました。

と同時に、今まで聴いたことのないようなサイケデリック(としか言いようがない)でラウドなサウンドが会場を支配しました。わぁ~っ!(心の声)

最初から「この音場は只事ではない」と感じさせるに充分な音です。サイケデリックでラウドなサウンドに加え、前述のような会場のセッティングそしてミラーボールが回転し、ステージのバックにはゼラチンライトがうねり、オーディエンスをのっけから異空間に叩き込みます。

何しろラリーズは公式な音源をほとんどリリースしていないので、私自身ラリーズのライヴを見るのも曲を聴くのも初めてです。それにしてもこのサウンドとステージングはオーディエンスの頭から「日常」をふっ飛ばすのに充分な威力を持っていると断言できます。これはヤバい!!!

曲は一曲が長めで、リズムも割とシンプルなのですが、空間を縦横無尽に飛び回る水谷氏のギターが圧倒的で、単に爆音なのではなく、かなり音的にバリエーションがあります。私もそれなりにいろんなロックを聴いてきましたが、こういうギタープレイをする人は他に知りません。普通思い浮かべる「ギターの音」をはるかに凌駕しています。すごい! 余談ですが、現存する中で私が最も好きなバンド「コクシネル」のセツさんは某誌のインタビューにおいて、高校生のとき吉祥寺にあった伝説のロック喫茶「OZ」で宿題をやっていたらその日の出演者がラリーズだったそうで、その演奏にぶっ飛んだというようなお話をされていました。さすが都会っ子は違いますね。

そんなこんなで圧倒されっぱなしの「遅すぎた初ラリーズ体験」でした。それに、サウンドやステージングもさることながら、ライヴの終わりにギターを肩からおろし、フィードバックの轟音が流れる中、オーディエンスに深々とお辞儀をしてゆっくりステージを去って行った水谷氏のミュージシャンシップにも感動を覚えました。普通「ロックミュージシャン」は、楽器をほっぽり出してとっととステージを去っていくような人が多いですからね(笑)。それに当時料金は確か1500円だったと記憶していますが、あれほど圧倒的なライヴだったらどう考えても「安すぎる」と思います(下衆な考えですね)。

それからは「ぴあ」でライブハウスの出演者をこまめにチェックし、ほとんど月一でラリーズのライヴに行っていました。今考えると、この時期は後期ラリーズでもライヴが多かった時期だったようです。

ラリーズのライヴは基本的には毎回、そんなに構成は変わらないのですが、演奏がタイトなときもあればドラッギーなときもあり、毎回微妙に違う印象を受けました。なかでも'886月のライヴは、1時間ほどの演奏でしたが(ラリーズのライヴはときに2時間をこえる)、最初から最後まで圧倒的にテンションの高い演奏が繰り広げられ、終わったあとは茫然としてしばらく現実に戻れませんでした。ライブハウスの外に出ると、夜の町の風景がなんとも静かでのどかに感じたのを覚えています。

このライヴの音はカセットに録り、よく聴いていたのですが、聴きすぎてテープが切れてしまいました。こんなすごい演奏を自分だけで聴いていたことに罪悪感を抱くほどの名演だっただけに残念です。


私がラリーズのライヴを最後に観たのは、'96年秋の川崎クラブチッタでした。会場は大きめでしたがそれに負けじと(?)ラウドなサウンドで、終演後耳の中で鈴虫が鳴いていたのを覚えています(笑)。それ以後、ラリーズとしてのライヴはほとんど無く、水谷氏個人でのセッション等が時折あったくらいだと思います。

 

現在、ラリーズの活動停止後にリリースされたさまざまなCDや動画サイト等でラリーズの映像や音源を視聴することはできますが、こう言うと嫌な言い方ですが、そこではあの視覚+聴覚+嗅覚に訴える圧倒的なライヴを体験することはできません。もちろん、こんな駄文を読んだところでその影すらわからないでしょう。結局なにが言いたいのかというと、「百聞は一見に如かず」というか、ライヴにおけるあの空気感や体に伝わってくるフィーリングは、やっぱりライヴに行かないとわからない、ということでしょうか。そして、水谷氏が意図した「総合芸術としてのロック」は私の中にしっかり残っているということでしょうか。

 


あのころからだいぶ経ち、今では音楽のライヴともすっかりご無沙汰な私ですが、昔荒川でやっていた「田島が原フリーコンサート」みたいに、ひろびろとした空の下で音楽が楽しめるライヴにラリーズみたいなシビれるバンド(死語)が出るなら、またライヴに行きたいな。


[追記]

海外のサイケデリック音楽ファンにも評価の高いラリーズですが、アメリカのとあるコンサートで客入れSEにラリーズのテープ(?)をかけたところ、ミキサーのお兄ちゃんがあわてふためき、PAがぶっこわれたのではないかといろいろ調整したものの直らず(そりゃそうだ、音源はまともなんだから)頭を抱えたというエピソードが伝わっていますが、なかなか微笑ましいエピソードでつね。わからん奴には死んでもわからん(爆)