初夏の荒川

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どうしても書きたかった「荒川のオアシス」のこと

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荒川中流にかつて、自転車好きが集まる「オアシス」があった。

荒川サイクリングロード(通称)は、下流方面から来た場合、秋ヶ瀬公園を過ぎると一気に風景が変わる。視界をさえぎる物のない、広々とした田園風景はそれだけで町の生活でよどんだ心を開放してくれる。私にとって定期的な「荒川流域での自転車徘徊」は今も心身をリセットする大事な時間だ。

そうやって、クルマと並走しないで済む道を上流に向かって無心で自転車を漕いでいき、「このへんでちょっとひといき」と思うころ、土手下に「オアシス」は現れるのだった。行けば必ず、気のいいオヤジさんとおばさんが「やぁ、いらっしゃい!」「今日はどこまで行ってきたの?」といつも温かく迎えてくれた。 

そして、焼きそばやおでん、あるいは黄金色に輝く液体(おっと)を食べ飲みしながら、流れる雲や土手上を行きかう自転車乗りを眺めたり、「オアシス」を訪れる自転車や歩きの人たちと言葉を交わす時間がとても心地良かったのをよく覚えている。燃料補給が済めば、「オアシス」に置いてある「れんらくちょう」にたわけた漫画を描いてマーキングするのがいつからか習慣になっていた。

そのときよく私の漫画のモデルとなったのは、自転車ロードレース好きなら誰でも知っている、見た目に反して声の高い(失礼!)、意表を突くアタックで名をはせたあの「日本のジャッキー・デュラン」その人である。私は、彼がツール・ド・フランスで果敢な単独逃げを打ち、汗みどろで勝利に向かって突き進む姿を新宿アルタの大画面で目の当たりにし、路上に立ちすくみとめどなく涙を流す、という甘美な幻想を何度脳裏に抱いただろうか。

その彼と気恥かしい対面を果たしたのもまた、この「オアシス」だった。彼も練習後にたびたびここを訪れ、焼きそばなどで炭水化物の補給をするのだった。そして「れんらくちょう」を開き、彼を描いた漫画を発見、「日本にも自分の熱烈な支持者がいた!」と心強く思ったという。なんという偶然!

そして彼と「お兄ちゃん」のファンクラブに私を知らない内に加入させてくれた(!)「日本橋のシャチョーさん」によって、「当時飛ぶ鳥落とす勢いだった彼」と「へっぽこ画伯」の対面が実現したのだった。まあ、「オアシス」によくくる人なら、普通に出会ったりするのだが。

ほかにも、「オアシス」にはいろんな人たちが来た。自転車で温泉めぐりをするのが趣味の凸凹女性コンビ、ハデハデジャージで丸々とした体を包み、必ず一人で来る若い女の子、いつも酔っぱらって来る地元在住のデザイナーさん、歯科医師会の偉い人のご夫婦、膨大な自転車コレクションを持つ日本橋のシャチョーさん、自動車用品メーカーに勤めるクラシック自転車マニア、大手自転車メーカーのファクトリーチーム所属の兄弟選手(その弟さんが前述の「彼」だ)」、某レンズメーカーにお勤めのモノクロ写真マニア女史、某自転車誌編集部のM本さん、などなど。「今日はだれが来ているかな」というのも楽しみのひとつだった。

そういえば、今やツール・ド・フランスの常連の「あの人」も来た。ある催しで初めてご尊顔を拝見したときは「へぇ~、アン●ーの若手なんだ~」くらいにしか思わなかった(失礼!)が、昼食のとき、参加者一人一人に名前を聞いて、「頼まれたわけでもないのに、せっせと参加者の名前と自分のサインを入れたポストカードを配りまくる」姿に「この青年は只者ではない!」と「何か」を感じたのだった。しかし、これほどまでの選手になるとは、正直思わなかったのも事実で(返す返す失礼!)、おのれの不明をただ恥じるしかない。


「オアシス」には平日の休みにも行った。さすがに平日は客も少ないようで、おばさんとのんびり世間話をしたものだ。荒川サイクリングロードの近くには昔も今も食事をとったりするところが少なく、自転車好きが集う場所としての役割も含め、「オアシス」の存在は貴重だった。「オアシス」を支援するためにも、私は可能な限り食事をしたり飲食物を買ったりして金を使うよう努めた。

日が沈むまで店にいて、夜のサイクリングロードを月の光を浴びながら帰ったことも一度や二度ではなかった(もちろんライトは点灯していたが)。

春と秋には「オアシス」をスタート・ゴール地点とした「五大サイクリングロード周遊」なるサイクリングも行われ、当時「オアシス」はまさに荒川サイクリングロードのシンボル的存在だったと言ってもいいかもしれない。 

そんな「荒川のオアシス」の個人的メインイベントは何を隠そう、「ニューイヤーライド」だ。元日の未明に東京を自転車でスタートし、漆黒の闇を走り抜けて「オアシス」のそばの土手で初日の出を拝むという神聖なイベント。

真冬の未明といえば、東京~埼玉でも零度ほどまで気温が下がる時間帯。走り出してしばらくすれば、まず体の末端部から寒さで じんじんと痺れてくる。体を温めるためケイデンス(ペダルの回転数)を上げ、それでも我慢できなくなればルートをそれ、自販機で温かい缶コーヒーをすする。つかの間の休憩を終え、また走り出す。眼に入るものは、自転車のライトが照らしだす畳一畳ほどの路面ときらめく星空、聞こえるのは耳元でうなる風の音とロードバイクのタイヤノイズだけだ。

そうして「オアシス」に到着すると、すでにオヤジさんや常連さんが薄明の中、たき火をかこんでいる。指先やつま先は寒さでしびれていたが、心の中は温かかった。

菜の花が咲き乱れる春も、灼熱の真夏も、落ち葉が舞い散る秋も、霜柱が立つ冬も、 「オアシス」に行くことは、もう私の生活の一部になっていた。


しかし、いつしか私自身にも「オアシス」にも、変化は起こっていた。

ひとつに、そのころ私の仕事環境が変わり、多忙になった(世間様と比べればたいしたレベルではないが)と同時に多少経済的に余裕(これまた世間様からすれば笑っちゃうレベルか)ができ、それが原因かはわからないが、「オアシス」のクラブハウス的な雰囲気に飽きてきた、といったらいいのだろうか、そんな心持ちになってきたのである。そうなると自然、脚も遠のきがちになる。

「オアシス」は最初に書いたように、町から離れた田んぼの中の土手っぺリにあり、けしてよい立地ではなかった。経営的にもけっして楽ではなかったはずだ。「オアシス」のファンはオヤジさんとおばさんの温かい人柄にひかれて通ってき、あれこれと注文して店の売上に寄与しようとした。訪れる人の中には、店を「無料休憩所」のようにとらえている人もいたようだが。

そんな、なんとなく脚が遠のいていたある日、「オアシス」のファンの一人である「日本橋のシャチョーさん」から連絡があり、オヤジさんが入院したという。「オアシス」のお二人は私の親くらいの年齢であり、お一人が入院したとなれば、これは「オアシス」の存続にもかかわる事態である。

「オアシス」を続けていくのは難しいかもしれない。 あれほど通った「オアシス」なのに、私はなぜかある種、さめた感覚を持っていた。

そのころ、私の心は「オアシス」から離れてしまっていたのかもしれない。片隅とはいえ、大会社内でたくさんの人たちに囲まれ、エネルギッシュ(なつもり)に仕事をこなす毎日。自由に使えるお金もふえ、「自転車で遠くに旅したいなぁ」「新しい自転車を買おうかなぁ」「またホノルル・センチュリーライドに行こうかなぁ」等々、すっかり「もうあのころの俺じゃないぜ」的な気持ちになっていた。

私が「オアシス」に通っていたころは慢性金欠病(懐かしワード)だったので、金をあまり使わずに楽しむにはそこがちょうどよかった、というのもあるし、乗っていた自転車はただでもらった「伝説の自転車ビルダー」さんの手によるロードバイク「キ●・ミヤ●ワ(のフレーム)」だったし、「金はないけど心は豊か!」みたいな自己満足にひたっていたのかもしれない。お金は人を変える、やはりこれは言えるようだ。

そればかりか、仕事場でてきぱきと働くたくさんのはつらつとした若い女性スタッフに目移りし、もっとも困窮していた時期(と言っても原因は自分なのだが)にいろいろ助けてもらった「ある異性」からも距離をおくようになっていた。

それでいいのか?当時の自分よ…。


しばらくしたある日、「日本橋のシャチョーさん」からまた連絡があり、「オアシス」はたたむことになった、ということだった。その口調には残念さがこもっていた。

彼は、私が「オアシス」に行かなくなってからも度々「オアシス」の近況を伝えてくれ、なぜ来なくなってしまったのかと心配してくれた。それに対して「う~ん、なんとなくかも~」とあいまいにごまかす薄っぺらな私だった。


そのように過ごして2、3年ほどしたころだろうか、「大会社」内の私の働いていた部門がなくなることが決まった。当時はリーマン・ショックのあとで、多くの企業がこのような「尻尾切り」で存続をはかったことはこれを読んでいる皆さんもご存じだろう。

さて、どうしよう。再就職といっても、このようなご時世にこれといった抜きんでた分野もない(絵を描いたりするのは自分自身が楽しむための遊び)おっさんに「いい仕事」など見つかるはずもない。心細い日々。

こうなると人間、勝手なもので、無沙汰にしていた場所や人が恋しくなる。といって、「オアシス」はすでになく、「精神的に支えてくれたあの人」ももうこの国にはいない。

大事なものは、いつもなくしてから気づくのだ。おろかな男は、そんなことを繰り返して、やっと「ほんのすこしだけ」成長するのだろうか。



今もときどき、あの「オアシス」のあったところを自転車で通る。そこにはもう建物はなく人影も見えない。


しかし、あの日も「オアシス」から見ていた土手ぞいの大きな桜の木は、春になればいまも変わることなく美しい花を咲かせている。

                                                                                                                                          



[追記]

この話をまとめるにあたって、当時「オアシス仲間」だった「日本橋のシャチョーさん」にいろいろ当時のことを聞いた。
そして、当時、「オアシス」に来る時はいつも酔っていた「デザイナーさん」が年初に不運な事故で亡くなっていたことを知った。
少年のような笑顔が印象的な人で、作品をほめられたことなどを自慢するでもなく語る、ひょうひょうとしたキャラクターに好感がもてた。
この記事をアップする前に彼がこの世を去ったことを知ったということは、彼の「おれがいたことやオアシスのことを忘れないでいてくれよ!」というメッセージに思えてならない。


よき自転車乗りに幸せあれ!




 
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